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2012年11月28日 (水)

答申されていたのねぇ~気仙沼市義務教育環境検討委員会

気仙沼市HPに11月 26日に登録された「新着情報」→「平成24年10月22日(月)本庁舎応接室において,菅野 仁委員長,畠山昭太郎副委員長から市長並びに教育長に答申書が提出されました」
 このブログに気小・気中・九条・条南・松小の閉校論を繰り返し書き込んでいた人間としては、この1ヶ月のタイムラグって何?という感覚を持たざるを得ませんなぁ。まあ、義務教育環境検討委員会での議論では、これらの5校は水梨小の併合先が松岩になるとか遠い将来に気中と条南を合併させる必要があるかもしれないぐらいの話が出たぐらいで、この5校を閉校させるようなことは検討しないことになっていたのは知っていたけどサ。
 この委員会の議事録は4月分までは市HPにアップされてたけど、5月から止まっていた。で、同じ日に残り全部アップされてた。あわてて目を通しましたよ、で、思ったのは「中間報告に対するパブリックコメント」はどうにか使ったの?ってこと。パブリックコメントにどういう意見があったかなんて議事録見てもどこにもなかった。よっぽど夏休み前後に開催された地区懇談会での発言は紹介されてて委員会でもいろいろ参考にしていたようだ。パブリックコメントなんて何かこしらえるときの「環境アセスメント」みたいなもので、儀礼的な募集だったんでしょうなぁ。具体的な統廃合案まで書き込んで出したのに、あ~ばかばかしい。事務局さん、まさか「中間報告は議論の方向性・スタンスに対する賛否を求めたものだから、その範疇を超えた意見は・・・」ってオミットしてなかったでしょうねぇ!
 それに「中間報告」では「適正規模化」を考究していくというスタンスを打ち出していたのに、その後の具体的な統廃合の検討の中では「複式学級の解消」止まりになったし、27年度に求めることとされた「再検討」というのもその時点で複式学級が生じそうになっていたらみたいなニュアンスだ。これでは再検討されても結局「適正規模化」はできないのではないかと思う。
 あえて言います。浦島・白山→鹿折小、落合・月立→新城小、小原木→唐桑中、大島→鹿折中だけでは鹿折小・新城小・唐桑中・鹿折中の小規模校化に歯止めがかかりません。新月中や面瀬・階上・大谷の各小学校・中学校も何もしなければ同様です。遠い将来だろうが「抜本的再々検討」があればその時は①鹿折小・鹿折中・唐桑中・新城小・新月中も気小・気中に統合?②面瀬から小泉・馬篭まで津谷小・津谷中に統合?になんてなりはしませんか。将来の孫子たちに小原木・松川・上鹿折の県境から浜見山まで通学させるんですか。
 せめて27年度再検討では「適正規模化=小規模校の解消」まで踏み込んでほしい。①鹿折小・鹿折中・新月中・新城小が小規模校にならないために気小・気中・九条小・条南中を分散吸収させる②面瀬以南の学校は松岩も含めて松岩中・面瀬小・階上中・大谷小・津谷中・小泉小に再編する(松岩中には条南中学区南部の生徒も編入)③小学生の遠距離通学対策として条南中校舎・校庭を使用して小学校を新設する(気小学区南部・九条小学区東部・松岩小学区北部の児童を編入)
 ちなみに「旧唐桑町から小学校だけはなくさない、大島から小学校だけはなくさない、・唐桑小・大島小は残すべきだと考えます。月舘小は校舎が新しすぎるので当面は特認校として児童を集めよう。」論者でもあります。
 この3点セット、本当は今やってほしいんです。校舎が空けば集合住宅や貸事務所に改造できる、校庭が空けば宅地にできる、つまり、復興公営住宅や高台移転に使えるんです。復興公営住宅は3~4年計画が出てるけどどう見ても5年スパン10年スパン、学校の校舎・校庭使えばもっと早いはず。松岩小は市役所にもして消防・警察・病院と歩いて行き来できる「非常災害時の対応拠点」化もできます。松岩駅にもしましょう。市役所にはBRTで!将来は鉄路も内陸移設だ!!
 こんなこと自分のブログに書きこんでも誰も見ないし、誰も賛同してくれないんだろうなぁ。

2012年11月23日 (金)

馬篭小と戸倉小の村田先生ご夫妻

震災の当日は通院のため学校をお休みした馬篭小の村田先生が遺体で発見され、状況から地震発生後に学校に向かわれていたと認定されて公務災害死亡という取り扱いになったということは報道で知っていたが、奥様も戸倉小講師をされていて亡くなられた教職員の一員だったとは・・・

11/20の三陸新報より、
「先生、天国で僕たちを見守ってね」。気仙沼市立馬籠小学校の児童が19日、東日本大震災で津波の犠牲になった村田敏教諭(当時43)を追悼し、コブシの木を校庭に植えた。コブシは2本で、1本は同じく津波で命を落とした妻の慶子さん(当時43)=戸倉小非常勤講師=の分。児童や教職員らが、天国の村田先生夫婦をしのんだ。
 植えたコブシは3メートルほど。花言葉は来世の幸福を願うという意味の「有愛」。震災があって、毎年卒業と入学がある3、4月に花をつけることから選んだ。
 6年の三浦貴史君は「担任の時、先生の授業が楽しかったのを思い出します。先生にはこれからの僕たちを見守ってほしい」と話した。

 私自身はこのご夫婦とはご縁はありません。ですが、私の妻も学校教員です。勤務先がたまたま高台の学校だったから妻自身は津波に遭遇することがなかったわけです。転勤の振り幅としてはあの日戸倉だったかもしれない人間です。このご夫婦をはじめあの日多数の子どもたちを預かっていた学校関係者、患者がいた病院関係者、お年寄りがいた老人福祉施設の方々、自分が避難するよりも目の前の弱者のため懸命の努力をされ、残念なことにその努力のかいもなくともに命を落としていった皆さんもたくさんいらしたことに思いをはせます。
 警察・消防の皆さんが救助・避難誘導に努めながらも確実に自ら避難するという方針が進められていますが、それと同時に、学校や病院や老人福祉施設などは「その場に留まれば安全」であることを前提に立地を考えていかなければならないものだなと思います。こういった皆さんの犠牲をせめて教訓にだけはしないといけないですよね。

 今日はいつもと論調が違うと感じられるでしょうが、親が連日のように車で送り迎えするようなあまりにも山の上にある学校ではイカンと相変わらず思ってます。妻がいたのはそういう気仙沼の街中の高台の学校です。安全だった学校なのだから子どもが減っていても残せという意見もありそうですが、私は「気小・気中・九条・条南・松小廃止論者」です。女房と子どもが気小に居たからテメェも気小に逃げてきて3人とも助かっただろうが、ふざけたことを言うんじゃねぇ!カゲキなコメントでも消し込みしませんのでどうぞ、でもできれば別な日の日記にお願いします。

2012年11月20日 (火)

煎餅坂周辺の拡幅計画か・・・

 南町から河原田を通って海の市に抜けていく道路が拡幅される計画になっている。内湾地区に居候していたので防潮堤問題に関連して個人的には南町から煎餅坂にかけての区間がどのように整備されるのか(堤防道路になるのかどうか)が気になっていましたが、煎餅坂周辺は修繕して商売を再開したお店が多い地域だ。三陸新報がこの時期になって報道しているということは・・・
「気仙沼市は河原田と南町を結ぶ市道(釜の前魚市場線)を避難道路として拡幅することを計画しているが、多くの建物移転が見込まれるため、地域住民が「せっかく津波で残った建物を壊してまで拡幅する必要があるのか」と反対している。震災から1年8カ月が過ぎ、ようやく落ち着きを取り戻し始めた地域が、移転の不安を抱えながら揺れ動いている。説明が遅れたことで、すでに修繕した住宅や店舗を移転することの懸念も示された。」http://www.sanrikushimpo.co.jp/cgi-bin/page.cgi?MODE=3&CATE_ID=0&FILE_ID=2
ここは内湾地区やや魚市場周辺地区にに挟まれたエリアで行政としても対応の優先順位が後回しになってしまったということだと思う。「説明が遅れた」ということがこうした問題の引き金になるんですねぇ。地域の皆さんにも市職員さんたちにもお見舞い申し上げますの気分です。
 第一段階の工事は南町方面になるだろうし、南町煎餅坂間が堤防道路にならないとすれば第一段階では煎餅坂周辺に影響しない工事になると思う。内湾よりも時間がかかるというよりも時間があると思われるので、地域の皆さんには街作りをじっくり考える機会と時間ととらえていただいて、本格的な増改築とか建て直しとかはご遠慮頂きながら鋭意ご検討いただきたいところだ。
 道路の線形がいまのまま拡幅されるのかなぁ?市民会館への登り口交差点は変則的三差路形状だけど、T字路形状にして右折車線を作る等、大々的にやってもらいたいよね。平時だと河原田の皆さんだけの利害が複雑に絡んで中途半端な線形改善になってしまいかねないと思う。内湾側・魚市場側ともかさ上げや堤防道路の構想がある今だから接続する道路とのかねあいも含めて総合的に線形を改善するチャンスだと思う。魚町もそうだけど道路線形をいじるなら今しかない訳ですよ。浜見山へ登っていく「まともな道路」は今のところここだけ。将来的に各方面からのいくつかの坂道が拡幅整備されるとしてもここがメインであり続けるだろうと思う。河原田の皆さんには酷な面もあるかもしれないが、暮らしている皆さんにとっても安心安全な道路と真新しい街並みが得られる訳ですよね。
 それにしても内湾地区からも魚の市周辺からも「住んでいる人」が少なくなって河原田の皆さんも寂しいでしょうねぇ。内湾の自宅再建や復興住宅なんていつになることやら・・・だから、やっぱり「浜見山復興住宅構想」なんですけど誰も賛同してくれないみたい・・・

2012年11月19日 (月)

かさ上げは待っていられない、復興住宅・集団移転を急げないか?

読売新聞の紙面でごらんになった方もいると思いますが、
http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/yomiuri-20121118-01039/1.htm
これが被災地の実情であり、気仙沼もその典型である。
 「用地や担当する職員の不足のほか、自力での自宅再建をあきらめて、復興住宅への入居を希望する人が増えていることが要因だ。」とも紹介されている。

「用地が不足している」仮設を建てるだけでも用地不足だった。気仙沼から野球場と公園と学校の校庭が消えた。室根と千厩に閉校したばかりの学校があってその校庭に建てさせてもらえて不足分を補った。仮設だから郊外・市外でも良かったが、復興住宅はそうはいかない。被災地域なりその近接地が望まれているが、なをのこと土地は無い。
「職員が不足している」俗に言う「マンパワー不足」。防潮堤と幹線道路の線引きすら決めきれず、かさ上げ工事着工のめどさえない。
「自力再建をあきらめて」①自力再建したいが防潮堤問題が解決しないと建築制限がはずれない②建物は自力で建てたいがかさ上げは行政の工事に頼りたい③高台移転をしたいがあまり郊外には行きたくない 等 ニーズはいろいろあるだろうが、①②は防潮堤問題がネックだし③は市で計画した集団移転用地がは具体的ではないし3年程度以上は待たされる計画だし(私は今のままでは5年~10年だと思うけど)、で、はじめは自力再建を考えていても復興住宅希望に変わる人たちも多くなるのではないだろうか。

 気仙沼市で現在把握している復興住宅入居希望は無記名アンケートだったし、「検討中」とか「無回答」の人たちを按分しているので、実態との乖離もあるだろうし、①なかなか外れなさそうな被災地域の建築制限、②遠い将来になりそうな復興住宅・集団移転の入居時期・・・こういった状況では入居希望は流動していきそうである。

 寒さも本格的になってきました。仮設住宅では底冷えと結露と水道凍結との2度目の戦いが始まります。今のままではほとんどの方が来年も仮設住宅で3度目の冬を迎えます。せめて4度目が無いように願うばかりですが発表されている復興住宅の計画ではそれも不可能です。再三繰り返していますが郊外に新たな土地を求めるばかりでなく街中にある公有地・公共物をもっと活用せよと言いたい。市立小中学校は団塊世代~団塊ジュニア世代が学齢期だったころの児童生徒数に応じて、学校の数・所在地・個々の規模が整備されてきたもので、現状でも校舎はオーバーキャパシティで空き教室だらけ。郊外の学校だけではなく、街中の学校でさえそうなのです。復旧・復興が終わったら気仙沼のあちこちで学校がコンクリートの廃墟と化していたら・・・。市立小中学校の整理統合を検討していた義務教育環境検討委員会は「複式学級の解消」のみを早急に求めることとし「抜本的な適正規模化」は数年後の再検討に委ねて終了しようとしていますが、多くの市民に「住む場所」の提供が求められる今だからこそ、学校の整理統合を進めて校舎は集合住宅に改造・校庭は宅地に整備して被災市民に低廉に貸与してはどうでしょうか。市全域については以前にも述べたので一例だけ気小・気中。まず両校校舎の集合住宅改造と気小校庭の宅地化、次に気中校庭と気仙沼公園の仮設住宅を縮小しながら宅地化して順次、貸与開始していけば、鹿折南部から本町橋周辺まで広範な地域に住んでいた人たちのニーズにこたえられるのではないかと思う。

 今、見聞きしている状況では被災地域で防潮堤ができて幹線道路が整備されてかさ上げ工事が終わって本格的に住まいや商いが再開されるのは10年スパンになってくるように思えてならない。その間、ご商売は仮設店舗なり応急措置なりで続けていていただいて、住まいはひとまず復興住宅に求められるのがいいのではないかと思う。魚町で県道の山側に復興住宅を建てることが計画はされているが3年で入居できるとは思えない。やはり5年~10年先なのではなかろうか。それは防潮堤・幹線道路・かさ上げの復旧3点セットが出来上がっているということであり、魚町や南町に店舗つき住宅を再建できるのです。そういう皆さんのためにも「浜見山復興住宅団地」など学校の校舎・校庭を生かしたスピード感のある「住まいの提供」が必要だと感じます。

2012年11月18日 (日)

まずは冠水対策=「かさ上げ」なのでは?と思うけど・・・

復興屋台村のブログよりhttp://ameblo.jp/fukko-yatai/entry-11404154880.html
 仮設商店街でがんばっている皆さんにとっては、日常茶飯事の「大潮」・「高潮」・「降雨」で周囲が水没する=海になることが目下の悩みの種のようだ。
 復興屋台村や紫市場がある「内湾地区」は全面的に海抜1.8mのかさ上げが計画されているとのことだ。実際に工事をするときにはこれらの仮設商店街は解体撤去されるのであろうから工事中の商売はどうなるの?ということでもあるんだが、今日、気になったのはかさ上げ工事のタイミング。
 目下のところ、防潮堤と幹線道路の線引きであるとか個々の家庭・商店が区画整理事業によるかさ上げを待つか私財で先行してかさ上げするかといったことが検討されている段階のようだが、防潮堤・道路・かさ上げの工事手順というのはどのように説明されているのだろうか?
 土木の専門家ではないのであくまでもシロウト考えなのだが、盛り土したところに構造物を建てるとどうなるか、3.11本震では女川とか千葉で液状化現象があったでしょ、4.7余震では一関周辺で土砂崩れや陥没による建物被害があった、(私事だが3.11で居候先冠水・全壊、4.7で拙宅土地陥没被害でした)盛り土する前なりの岩盤に根を張るように基礎を築かないと上ものは大変なことになるのではないだろうか。と考えれば、コンクリート堤防などというものはかさ上げをする前に現状の地盤からある程度掘り込んで築堤すべきだろうし、盛土堤防や道路もかさ上げ前の現状でその構造自体で自立する設計になるのではなかろうか。道路を海抜6.2~7mかさ上げして防潮堤を兼ねる「堤防道路」にするのであればなおさらであろう。
 この推論が正しければ、防潮堤や幹線道路が完成しないとかさ上げ工事は着工されないということにはならないだろうか。防潮堤や道路に関してはどの位置にどのように建てるのかという「線引き」を検討している段階のはずである。近々に何らかの工事が開始されるという状況ではない。かさ上げが終わらないと内湾地区が冠水して海になる日常が続いてしまう。それは5年なのか、10年なのか、さらなる将来なのか。かさ上げ工事が終わらないと家や店を建て直せない、復興住宅ができあがらなければ内湾に戻れない、内湾地区に戻って暮らそう、商おうという人たちにとっては切実な問題である。お詳しい方、コメントお寄せください。
 復興住宅を待っている人たちの中には内湾の近くであれば高台でもかまわないとか、自主再建しようとしていても5年も10年も仮設住宅では耐えきれないとか、諸々ニーズが出てくると思う。こういう事象を見るたびに、学校の統廃合を進めて、気小・気中の校舎を集合住宅に改造し校庭を宅地化して被災者に賃貸して、内湾の近くに住む場所を供給すべきだと思えてくるんだよなぁ。

2012年11月12日 (月)

郊外に大型店ができる、早く街場に住人を!

 津波浸水地域では再開発計画が防潮堤と幹線道路の線引きすら終わってなく、海抜1.8mかさ上げを自費でやろうにもできない、まして公費でやってもらうのは最悪防潮堤と幹線道路の完成後かもしれないので5年先・10年先かもしれない、ということで内陸郊外に宅地を買い求め自宅を再建している方々が多い模様だ。で、そこをねらってヤマダ電機がやってきます。スーパー・ホームセンター・ドラッグストアも併設されます。便利になるのはいいけれど・・・http://www.kahoku.co.jp/news/2012/11/20121108t12015.htm
 たまたま見かけたwebページですが、http://fukkou-shien.org/?p=182「★気仙沼市は仮設住宅が市内94箇所に点在しており各仮設住宅で「買い物難民」が多く存在します。この地区では、高齢の一人暮らしの被災者の方が多く、買い物に行くにも仮設住宅から急な坂道を登り、そこから暗い林道を何百メートルも歩いてバス停へ行き、一時間に数本のバスを待って何十分もかけて買い物に行かなければならない地域もあり、基礎食料(お米)・生活消耗品・レトルト食品等の常備が必要となります。」
 車がある人はいいけどこういう人たちにしてみれば住むところの改善(場所も設備も)が願われていて早く便利なところに復興公営住宅を早く造ってもらって入居したいのではないだろうか。
 発表されている復興公営住宅で低地に作られそうなのは南小跡地・気仙沼上地区・内湾地区・四反田地区・鹿折地区のようだけど、南小跡地の住宅に早期着工の兆しがあるぐらいでそれでも早くて26年初頭の入居だというが危うい気がする。それに内湾と鹿折のかさ上げなんて待ってたら5年建っても着工されないんじゃないの?
 今のままだとせっかく津波浸水地域で仮設商店街を造ってがんばっている地元商店さんが郊外の大型店にお客さんを奪われてしまって、公営住宅にしても集団移転宅地にしても街場の近くにできあがったころには、「街場に店が無い」なんてこともあり得ると思う。南はイオン・西はヤマダ・南北西にホーマック・街場を取り囲むドラッグストア・・・ちょっとした買い物でも街中から車で行きますか?車がない人はどうすればいいですか?
 条南中を小学校にし、気小・気中・九条小・松岩小を周辺校に分散吸収させて校舎賃貸住宅化改造・校庭宅地化整備をすれば、計画されている復興住宅・集団移転より早く街場に賃貸住宅と宅地を提供できると思う。
 高台に建てては街場への行き帰り=下り坂・上り坂の問題は残るけど、街場との距離だけは何とかしてあげられるのではないかとおもう。

2012年11月 2日 (金)

やっぱり学校を復興住宅団地にしよう

 10/31の気仙沼市長記者会見で復興公営住宅と市誘導型防災集団移転の計画が発表されていました。
 発表資料です。http://www.city.kesennuma.lg.jp/www/contents/1351729662858/files/2012-10-31-4.pdf
 これによれば27年1月~28年3月に順次完成・入居開始となっているが、今はもう24年11月、あと3年前後も仮設住宅で我慢できますか?
 それに、南小学校跡地以外は建設予定地が具体的になっていないし、明らかに3.11の浸水地域に建てようとしている思われるところなんてTP1.8mかさ上げが終わらないと着工できないだろうし、このスケジュールをしんじられますか?さらに防潮堤着工・完成→道路着工・完成→かさ上げ着工・完成の順番に工事が進められるとしたら、とても信じられないんです。5年~10年スパンで待たされてしまうんじゃないですか?
 計画されているところ全てではないが、小中学校を整理統合して校舎の公営住宅改造と校庭の宅地化をすれば、いくつかの公営住宅・集団移転用地の解決にはなるとおもわれるので、アテコミをしてみます。なお、この計画は条南中を新月中・松岩中に分散吸収させ(気中も閉校させます)、同校の施設を使用する小学校を新設することを仮置きしています。(勝手なスローガン:「小さい子供たちが毎朝たくさん荷物を持って浜見山・九条・五田鱈の坂道を登って学校に行くのはやめさせよう!」)
※唐桑地域は後述 
 浦島小→鹿折小へ併合が決定しているので、大浦地区復興公営住宅に改造する。
 気小・気中→鹿折小・鹿折中・新月中・新城小・新設小・松岩中に分散吸収、内湾地区復興公営住宅・気仙沼上地区復興公営住宅・南気仙沼地区復興公営住宅・南気仙沼地区集団移転用地に改造・転用する。
(年賀状配達のアルバイトさんは八日町の本局から鹿折・新月・新城・松岩にもチャリンコで行かせられているらしい。義兄は魚町から気高にチャリ通してたそうだ。気高生や東陵高生は結構遠くからチャリ通してるはず。)
 九条小→新城小・新設小へ分散吸収、四反田地区復興公営住宅・九条地区集団移転用地に改造・転用する。
 松岩小→新設小・面瀬小へ分散吸収、松岩地区復興公営住宅・松岩地区集団移転用地に改造・転用する。
(松岩小校舎は市役所と気仙沼線の駅に改造した方がいいと思う。予定戸数が少ないようなので校庭に長屋式アパートを建てればいい。とにかく急ごうなのだ。被災したのは沿岸の人たち、牧沢の西高の近くにアパートあっても引っ越すのかなぁ?)
 面瀬中→松岩中・階上中に分散吸収させて、面瀬地区復興公営住宅・面瀬地区集団移転用地に改造・転用する。
 階上小→面瀬小・大谷小に分散吸収させて、階上地区復興公営住宅・階上地区集団移転用地に改造・転用する。    
 大谷中→階上中・津谷中に分散吸収させて、大谷地区復興公営住宅に改造する。
 津谷小→大谷小・小泉小に分散吸収させて、増設校舎のみ津谷地区復興公営住宅に改造し、不足分は校庭に長屋式アパートを建てる。
 小泉中→津谷中に吸収させて、小泉地区復興公営住宅に改造する。
※唐桑地域については児童・生徒数の予想から小学校は唐桑小1校に統合し、中学校は2校とも鹿折中への併合せざる得ないのではないかと思っています。閉校となる各校校舎は大沢・唐桑・小鯖地区の復興公営住宅に改造できるものと思います。 
 アテコミできなかったのは只越地区の復興公営住宅と鹿折地区の復興公営住宅・集団移転用地、大島地区の復興公営住宅です。大島は悩ましい。大島中を鹿折中へ併合させられるとしても架橋後だろうから大島は学校以外の土地を考えなくてはならない。私は「大島の学校は架橋後も残そう」論者です。鹿折も悩ましい。鹿折は小学校・中学校とも残しておかないと浦島学区や白山学区から新城小・新月中や気小・気中に(私は気小・気中廃止論者ですが)通学させることになってしまう。やはり学校以外の土地を考えてほしい。
 逆に閉校することが確実視されている郊外の小学校(白山・月舘・落合・水梨・馬篭)については市が発表した復興公営住宅や集団移転宅地をアテコミできなかった。でも住み慣れた地域を離れて郊外に転居してでも早く安心した暮らしを再開したいというニーズもあるだろうし、海から離れたくない・離れられないというニーズもあるだろうと思う。復興公営住宅にしても集団移転宅地にしても予定地が具体的になれば必ずしも小学校区にとらわれずに入居等を希望されるのではないか。これらの学校の校舎復興公営住宅化改造・校庭宅地化、面瀬中・階上小・大谷中・津谷小・小泉小と唐桑地区で閉校する各校の校庭も宅地にする選択肢も含めて具体的な建設予定地を提示して入居等の希望をアンケート(というよりも入居希望調査)して、ニーズに合わせた規模で着工し、どうしても校地・校庭で対応できない少数ニーズにはかさ上げ工事完了後に急いで長屋式アパートを建てて対応されてはいかがか。校舎・校庭が利用できない鹿折は公営住宅の建設予定地を早急に確定させ、防潮堤や道路の完成を待たずに着工してほしいところであるが他の地域に比べて入居等が遅くなることを明示することも必要だと思う。

2012年11月 1日 (木)

復興公営住宅などの建設計画が出ましたが・・・

http://www.city.kesennuma.lg.jp/www/contents/1351729662858/files/2012-10-31-4.pdf
10/31の気仙沼市長記者発表資料です。

 土地のアテはあるのかなぁ?南小跡地の公営住宅はまもなく着工して2年後に入居させる計画だけど、ほかは土地の取得どころかアテも無いのに3年後に入居なんてできるんだろうか?四反田住宅も2年後だけど場所とか具体的な話って出てましたっけ?なんだかクエスチョンマークばっかりが頭に浮かびます。

 やっぱり小中学校を整理統合して、閉校する学校の①校舎を公営住宅に②校庭を集団移転に使った方がいいと思えてくる。しかも南小跡地以外の各団地にはステージ付き体育館とプールが元々ある。

 具体的なアテコミはまた今度にしますが、待ってろよ気小・気中、君たちのセカンドステージは復興公営住宅団地だ!

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